感覚の感度を上げる

現代の空手は大まかに「スポーツとしての空手」と「武道としての空手」に分けることができますが、今回のお話は「武道としての空手」です。
空手はぱっと見、形や組み手の技を磨いていくだけに見えるかもしれません。しかし、実際に磨くのは技だけではありません。空手の稽古を通して礼儀や心構えを学んでいきます。
技ができるようになる一歩として、まず先生の技を見て実際にやってみる。が、思ったように自分の身体が動かない。もう一回やってみても、また失敗。そして何度も繰り返していくとたまーにうまくできることが。そして、その技がうまく決まる回数を増やしていくことで「これだ!」という気付きが生まれます。これはコップから水が溢れ出す感覚と言えば良いのでしょうか。メジャーでがんばっているイチローも、あるファールを打った時に打撃の悟りを開いて、ニヤニヤしながらファーストに走っていたと言われてますね。
今までうまく動かなかった身体のコントロールの仕方や技の”コツ”というのがあと時を境にして身体の中にスッと入ってくるのです。これは身体の使い方を新しく見いだしたと言えます。また、先生の技を見れるのもそう多くはない状態で、いかにその技を盗むかということに神経を注ぎます。これはただ単に足や手の動かし方やタイミングを見るというよりも、技をかけている時にどこに意識を向けているか、相手の力をどのように利用しているか、自分の力をどのようにして相手に伝えるか、呼吸のリズムはどうか、などを”感じて”います。現代のヒトの知覚はほとんど視覚を主としている傾向にあります。しかし、技を盗むためにはそれだけではダメで、全く別の感覚で感じないといけません。
ある空手の先生の話で、その先生は毎日、風呂場で師匠の背中を流していたそうです。背中を洗っているとき、師匠が「桶」というので、その先生は桶を渡します。そういうやりとりを毎日繰り返していくと、だんだんその師匠が「桶」というタイミングが掴めてきます。最初はタイミングが合わなくて怒られるけれど、何度も繰り返していくうちに「桶」と言われる前にサッと桶を渡せるようになりってくる。そうなると、演武で師匠が次どこに、どのように突いてほしいかもわかる、技をかける時に師匠がどのように身体を使っているかもわかってしまいます。師匠の気持ちが読めてしまうのです。こんな話は空手の達人にはよくある話です。(もちろん私はどのような感覚なのかがまだまだ掴めていません)
これらの例であげた事柄は明らかに視覚や聴覚とは全く別の感覚が働いているように思えます。それが何だかはまだよくわかりませんが、私たちが持ち得ない感覚なのでしょう。ジャンプの漫画の話ですが、NARUTOという漫画で体内の経絡系(チャクラが流れる管)を透視する白眼という能力があります。経絡を見るまでとはいかないまでも、空手の達人には相手の意識がどこにあるかということも感じる事ができるようです。先ほど述べたように、現代のヒトの知覚というのは、ほとんどが視覚によるもので、そのほかの感覚の感度は低下しています。しかし本来はヒトも動物であって、潜在的な感覚の感度は高いはずです。
私は、こういう感覚の感度というのは、環境によって高まったり、低くなったりするのだと考えています。例えば、大昔、竪穴の住居で他の獣からおびえて暮らしているヒトは獣が近づいてくのを察知する能力に長けていたはずです。一方、現代のヒトはそのような危険もありませんので、自ずと危機察知能力も低下してしまいます。ヒトとは違う動物の話で言うと、大地震の前には動物が騒ぎだすというのはよく聞きます。動物は地震前に我々が感じられない”何か”を感じ取っているのでしょう。つまり我々が鈍感なだけなのです。また、身体能力に関しても同様に言えます。そもそも身体は自己に属していながらも環境の一部としても捉える事ができます。そんな身体を”コツ”という感覚によって、機敏に動かす事ができるようになります。
そんなこんなで、空手では稽古を通して感覚の感度を上げていきます。これはヒト→環境のアプローチと言えます。では、環境がヒトへ働きかけることはできないのでしょうか。現代人も獣におびえる状況に置かれれば、自然と危機察知能力というのが養われていくはずです。地震察知能力のようなものがいきなり発現するというのはないと思いますが、環境次第で人間の感覚というのは変わっていきます。住居を例にとっても、竪穴式住居から現代の和室、洋室という風に移り変わっていく中で、我々の生活スタイルというものは様々に変わってきています。
この具体例として三鷹の天命反転住宅があります。三鷹天命反転住宅は日常生活では触れる機会の少ない錯覚感、不安定な感覚を体全体で味わうことにより、人間本来の感覚を再確認することを主要なテーマとなっています。
三鷹天命反転住宅はヒト本来の感覚を再確認させるものでですが、「住宅」が「ロボット」であってもそれが環境である限り同じ作用を起こす事ができるはずです。兎角、コミュニケーションという人間独自の能力をさらに引き出すには、身体を持ち、ヒトとコミュニケーションできるロボットが一番ではないでしょうか。人間本来の感覚を再確認させるロボットというのができれば、コミュニケーションの質は確実に変わると思うし、我々の可能性はさらに広がり、生活スタイル自体も変わると確信しています。
そんなロボットつくれればーと今がんばっているわけですねー。